2015-07-28 第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第3号
○大塚耕平君 昭和四十八年の当時の山中防衛庁長官の御答弁以来、そういう内容になっています。つまり、内乱、騒乱を想定しているわけですね、間接侵略、まあ外国の教唆があった場合ですけれども。直接侵略、間接侵略、それらに該当しないケースに今回対応したいとお思いになっているからこれを削っているわけです。
○大塚耕平君 昭和四十八年の当時の山中防衛庁長官の御答弁以来、そういう内容になっています。つまり、内乱、騒乱を想定しているわけですね、間接侵略、まあ外国の教唆があった場合ですけれども。直接侵略、間接侵略、それらに該当しないケースに今回対応したいとお思いになっているからこれを削っているわけです。
○友藤政府委員 当時の山中防衛庁長官の答弁でございますが、空母ミッドウェーの乗組員家族の横須賀居住の開始とともに厚木飛行場が空母艦載機の補給整備等の基地として使用される、こういうことから、その飛行に伴う騒音対策の必要性について触れたものということで私ども承知をいたしておりまして、その意味合いにおいて、現在のNLPを厚木で行うというようなことを念頭においていたような御答弁というわけではございません。
昭和四十八年十月九日、内閣委員会での山中防衛庁長官の答弁でございます。ミッドウェー母港化に関連して、厚木並びに三沢等に訓練のためにこういうことが起こるというふうに述べられています。「基地の公害はふえていくという現象が起こると思います。その点は今後十分に配慮してまいりたい、そう考えます。」十分に配慮なさいましたか。
それから、山中防衛庁長官のマラッカ海峡まで広げるのは憲法違反であるというただいまのお話でございますが、私、その答弁をよく承知いたしておりませんけれども、山中長官が憲法違反だということをおっしゃったのであれば、それは集団的自衛権との関係を頭に入れた上で、集団的自衛権の行使になるから憲法違反になるとおっしゃったのだと思います。
これはかつて四十八年、当時の山中防衛庁長官が、マラッカ海峡まで防衛の守備範囲を延ばすことは憲法違反だということをはっきり言っておるわけですね。ここいらの限界について言及しながらひとつ答弁をいただきたいと思います。これは局長、それから最後に外務大臣に。
それから、当時の山中防衛庁長官が、四十九年一月十八日、衆議院内閣委員会においてこういう答弁をしているのです。その残りを二十機——これは十五機の誤りだと思うのです。
○市川委員 施設庁長官、先ほど申し上げましたように山中防衛庁長官も、地元と相談してどこまで地元の御要望に沿い得るかということも国会で答弁なさっているわけです。しかも、いま申し上げたような弾薬庫の建設に対する不安、あるいはこの大和市、厚木周辺は、神奈川県では川崎、横浜に次ぐ人口密集地なんです。
○秦豊君 昭和四十八年六月の衆議院内閣委員会で、当時の山中防衛庁長官は、正直なところ最終的にはシーレーンなどは守れない、と言明されていますが、この状況は変わっていませんか。
山中防衛庁長官のときに、次期FX論争のときに、いまの方式を改めろ、FMS方式に切りかえろと言ったのは私じゃないですか。そのことを含めて検討しますと言ったじゃないですか、その当時。議事録に残っているじゃないですか。新聞にも大きく出た。山中さん、一生懸命そっちへ持っていこうとした。
その議論を山中防衛庁長官の時代にもしたことがあります。中山君、心配するな、おれがやると言うから、山の中のどこにいるかわからない総理大臣から、中山長官はおれが首切ったと山の中から言われたらどうするのだと山中長官に言ったことがあります。ですから、それほどいいかげんな砂上楼閣の国家であるということ——太りいく豚は幸せではないという言葉がありますが、日本にその言葉が私は当てはまると思う。
この問題につきましては、昭和四十九年の三月八日の衆議院の予算委員会の第一分科会で、当時の山中防衛庁長官が次のような答弁をされております。
そこで、改めてお伺いしたいのですが、山中防衛庁長官時代、こういうことを言っております。これは四十九年三月の予算委員会第一分科会での発言です。
その際に山中防衛庁長官は「五年間に限り使用するということでありますから、五年を経過したら使用しないという方針は変わっておりません。将来も変わりません。」こうおっしゃっておる。櫻内農林大臣は私の質問に対して、「移転先の有無にかかわらず五年後には返還されるべきものと思います。」と明白に答弁をされております。
防衛庁としては、当然演習場の中を通るわけですから、そこには砲座もあるし困るのだということを山中防衛庁長官が述べておるわけですね。今日に至ってまだ——今度は自然環境保護というようなことを持ち出して、そしてジグザグコースをとっておって、今日に至るも計画が遅々として進まないのは怠慢じゃないですか。
○平井政府委員 本件道路の問題につきましては、ただいま御質疑がありましたように、昭和四十八年、四十九年の国会の御質疑の当時、当時の山中防衛庁長官が御答弁申し上げたとおりの姿勢でございまして、ただいまも建設省の方からお話がございましたように、その後、防衛庁の演習場の機能との関係については、鋭意調整を終えまして、あとは用地問題が道路敷の問題としては残っているというふうに承知しております。
私、参議院在任中、昭和四十八年十二月の予算委員会、さらに四十九年三月の予算委員会と、二回にわたり、当時の亀岡建設大臣、山中防衛庁長官、それぞれお伺いをいたしておりますが、その後もう三年近くなるのでございますが、さっぱりこの計画が進捗をしておらないのでございます。一体どういうふうになっているのか、御説明いただきたいと思うのです。
この問題については昭和四十九年の秋、いまごろであったと思うんですが、当時の山中防衛庁長官、私が指摘したときに山中長官は胸を張って、そういうことは即座にやめさせます、こう言って答えておられるんですけれども、ずっと続いているんです。
それで、ちょっと私、大変理解に苦しむ点があるのですが、山中防衛庁長官のときに、ここで提案理由の説明をされたんです。われわれは大臣でなければいけないと言ったんだが、大臣がおるのに大臣がやらぬのはおかしいじゃないかと言ったのです。ところが、これはあらかじめ命を受けて大臣不在の場合その職務を代行するというのでございますから、大臣がおるのにその職務を代行してはいけない、大臣が国会におったんです。
大臣はおらなくて、しかも大臣が特別に政務次官に指示をしないといけぬわけですが、かつて山中防衛庁長官が何やら不信任案が出て、本人はおる、おるのにかかわらず、ここで給与法の法案の説明を大臣にかわって政務次官がなさったことがあります。これはこの国、家行政組織法第十七条の規定に基づいた代行か。本人はおる、不在ではないのです。国会におる。不在ではないのです。おるにかかわらず、そういう解釈はどうしたらいいか。
○峯山昭範君 それで、それぞれ駐在官事務所がありまして、次官の当時だと私は思うのですが、山中防衛庁長官の当時に、これは非常にいろんな問題があると、現実の問題として詳しい問題があるわけですが、非常にいろんな疑いを受けるということで、この駐在官事務所はすべて取り払おうというふうな話が出たということは御存じですね。
川崎空佐、山口空将補等の事件が起こったときに心配をして、私は増田防衛庁長官に質問をし大騒ぎになったわけでございますから、二度とその繰り返しを、私の議席があるうちに、防衛をやっておるうちにやってもらっては困るという認識があって、予算の分科会で山中防衛庁長官にまず物を聞いた。直接買えぬか、商社入れなさぬな、そういう例もあるじゃないかと例も挙げて物を言った。そうしたら、そうしたいと言った。
これは山中防衛庁長官が長官になる少し前でありまして、この委員会でも問題になりました。その種のものはあったんだが出さなかったということになった。だから、四十八年の五月二十九日、三十日の安保協議会の事務レベル会議には出ていないということになった。だがしかし、そのときにこの席上で山中氏は、そういうものを防衛庁がつくったことはけしからぬ、こうおっしゃっておる。だが、その危惧なしとしない。
○野田哲君 施設部長ね、これは昨年も、あなたも承知しておられると言われた、山中防衛庁長官としても、沖繩の県民が非常にこれを危険を感じておる。あるところでは、燃料が漏れて川へ知らない間に流出しておったために、通行人がたばこの吸いがらを捨てたところが、それが延焼して川一面が火の海になる、こういう状態すらあったわけでしょう。あるいは畑や井戸水に流出をしているという例もあった。
○政府委員(銅崎富司君) 昨年の九月以降、当時の山中防衛庁長官の指示もございまして、米側とパイプラインの安全についていろいろと話し合ったわけでございますが、まず具体的にやりましたのは、那覇空港から参りますとちょうど左手に……
○野田哲君 昨年私がこの問題で当時の山中防衛庁長官並びに施設庁の関係者に質問をした際に、山中防衛庁長官としては、このパイプラインが非常に危険な状態にあるということで、私どもの方としては、これは沖繩県知事の主張でもありますが、撤去を求めたらどうか、こういう質問なり主張に対して、長官としては、これはいますぐ撤去ということにはならないが、危険個所については早急に修理を行わせるし、そうして、その安全基準としては
楢崎君が持ってきて出した、山中防衛庁長官のとき。それが大変なことになっちゃう。航路帯としてというならまた話が違ってくる。さんざんやりとりをして、実はここで差しかえをした。
沖繩の牧港補給基地との関係で、アメリカ退役在郷軍人クラブ、これをVFWと言っておりますが、四十九年五月十六日の内閣委員会で、当時の山中防衛庁長官が、このVFWの措置についてはどうも日本政府にミスがあった、だから日本政府として責任をもってこの問題を解決したいとはっきり言っております。もう一年以上たちますが、これは解決のめどさえついていない。
○瀬長委員 この問題は政府のミスでいまだに解決しておらないという点は、当時の山中防衛庁長官がはっきり委員会で言っております。この問題につきましてはすでに外務省は御承知だと思うのですが、VFWは、最初は、五月十五日の返還の時点には施設、区域A表に書かれていた。ところが四カ月後に施設庁から、これはいわゆる施設、区域として提供されたものではないのだというふうなものがやってきた。
などというものがどんな正体であるかわからぬ、ひょっとしたら犯罪の巣窟になるかもしれない、こういったものがあるにかかわらず、現実にどういうふうな仕事をやっておるか、従業員が何人ぐらいいるのか、あるいは宜野湾市に税金を納めているのか、納めているとすればどういうふうな納め方をしているのか、こういった実態をはっきり知らないということだけでも、この問題はいままで政府が一生懸命やっていなかったんだ、はっきり言えば、山中防衛庁長官
○山崎(敏)政府委員 昨年山中防衛庁長官がアメリカに行かれまして、シュレジンジャー国防長官といろいろ話をされたわけであります。われわれといたしましては、防衛庁長官とアメリカの国防長官が話されることは非常に有意義であると存じまして、その当時もいろいろとお世話申し上げたわけでございますが、そのときに当時の山中長官は、シュレジンジャー国防長官を日本に招待された次第でございます。
山中防衛庁長官は、一%以内に抑えるから問題はないんだ、こういうふうに言われ、歴代の防衛庁長官はそういうふうなことではっきり言ってきているわけですよ。ところが、いま坂田さんの場合には、その一%前後ということになると、これは一%を超えても前後になるわけですからね。そうでしょう。そこは実は問題のあるところです。
○鈴切委員 いま安定成長期に入って云々というお話がございましたが、山中防衛庁長官が、国内的にはその経済、財政事情の変化等、防衛力整備に種々の制約がある、あるけれども、防衛費は一%以内に抑えることであるので問題はないんだ、こういうふうな御答弁をされておりますね。それに対して、ポスト四次防について、やはりそのお考え方を踏襲されるお気持ちでしょうか。